近畿大学は、大正14年(1925)創立の大阪専門学校(旧制)と昭和18年(1943)創立の大阪理工科大学(旧制)を母体として、昭和24年(1949)、新学制により近畿大学として創立され、本部は 東大阪市にある。

近畿大学医学部は、医学博士である世耕政隆総長の強い願いにより、昭和49年(1974)4月7番目の学部として大阪府南河内郡狭山町(現 大阪狭山市)の丘陵に開学された。ここは、東に金剛、葛城の山々を望み、記紀にも記載のみられる日本最古の人工池狭山池や素恵器の産地で古代より 開かれた歴史と静かな自然環境に恵まれた地である。初代教授として第1解 剖学教室島五郎(大阪市立大名誉教授)と第2解剖学教室森司郎(大阪大学 講師)が開学と同時に着任した。森教授は2年も前から解剖学教室開設の準備に当たり、解剖学実習室の設計や組織学実習標本の作成に並々ならぬ努力 を呈した。また両教授は解剖学実習体の確保にむけて東奔西走した。解剖学の講義・実習は、昭和50年(1975)から始まり、当初2学年後 期から3学年前期であった。昭和53年(1978)9月1日、大学院設置申請のため、第1解剖学教室に谷村孝(京都大学助教授)が着任し、しばらくの間[昭和54年(1979)7月31日まで]第1解剖学教室は2人の教授を持つこととなった。その後、谷村、森教授のもとで、教育の基本体制 が確立した。なお、森教授は、病のため平成4年(1992)8月22日死去し、佐々木宏(東京医科歯科大学助教授、平成5年(1993)4月1日 -平成11年(1999)3月31日)が、第2解剖学教室教授の任に着いた。平成10年(1998)4月1日付で谷村教授が第1解剖学教室の主任 教授を退かれ、近畿大学ライフサイエンス研究所教授に就任(平成12年( 2000)3月31日退職)されるのに伴い、後任に安田佳子(近畿大学助教授)が4月1日付けで昇格し、主任教授となった。佐々木 宏教授の東京 女子医科大学解剖学主任教授に転任に伴い、平成11年8月(1999)重吉康史(神戸大学医学部講師)が着任した。平成18年(2006年)3月31日安田教授は、退職された。4月1日付けで第1解剖学教室は解散、 同日、第2解剖学教室は、解剖学教室として改組され、ほとんどの第1解剖学教室の教室員は解剖学教室に移籍した。重吉康史第2解剖学主任教授が解剖学教室初代主任教授に就任した。ここに、近畿大学医学部第1解剖学教室は、31年の歴史を終えた。