近畿大学医学部内科学腫瘍内科部門

主任教授・中川和彦ブログ

2019年08月30日 掲載

何故、私は腫瘍内科医をめざしたのか?<3>

1985年の夏、私は国立療養所熊本南病院という熊本市内から車で1時間ほどのところにある田舎の療養所で内科スタッフとして働いていました。
3年目、初めての内科スタッフとしての外勤ということで独り立ちした喜びをかみしめて、頼りないながらも自信と熱意を持って働いていました。
特に、これまで誰もできなかった膵臓のERCP検査を病院内で実施できるよう内視鏡技術に磨きをかけるごとに一生懸命で、何かこれまでできなかったものを可能にすることに充実感を抱いていたようです。

それは、晴天の熱い日差しがギラギラとまぶしい昼下がりでした。
私は医局長からの突然の電話を受け、緊急で大学病院に立ち戻ることになりました。
医局長が言うには、「今日、大村さんが亡くなった。その際、担当医が遺体解剖を大村さんの奥様に申し出たところ、主治医として一生懸命努力してくれた中川医師が立ち会うのであればとの条件で遺体解剖を了承してくださった。至急、大学病院に来て解剖に立ち会ってほしい」とのこと。

私はすぐさま内科部長の承諾を取り大学病院地下にある遺体解剖室に急行しました。
暗い地下室の薄暗い電灯の灯る廊下を遺体解剖室に向かうと、うつむいたまま廊下の一点を見つめている一人の若い女性が二人の幼い子供とともに立っているのが見えました。

近づいて「大村さん」と声をかけると、大村夫人は2人の子供を置いたまま私に駆け寄り人目も気にせず私に抱きついてこられたのです。
私は驚いて呆然と立ったままで何もすることができませんでした。というか、私はその時どうしたのか、どんな仕草をしたのか、大村夫人の方を抱いてあげたのか、何ということばを掛けたのか、62歳になった今、何一つ定かに思い起こすことができないのです。

でも、ただ一つ確かなことがあります。私はこのとき、この瞬間に肺癌治療の専門医になろうと思った。

これまで何回大村夫人とお会いしたことがあるだろう?
そんなにはお会いしたことはないはずだ。
きっと大村夫人は、ご主人と私のことも病気のことと一緒によく話しておられたに違いない。

私は大村さんと出会ったとき、なんとも無知で頼りない研修医だったのに信頼して治療を任してくれた。
私は今になって思う。きっと大村さんが命の限られた癌患者だったから、治療法が未開拓で有効な治療方法など一つもないがん患者だったからこそ、未熟な研修医を頼りにしてくれたに違いないと。

私が腫瘍内科医になった理由?
医者になって初めて担当した患者が肺癌患者だったから。
そしてその患者ご夫妻が私を信頼してくださったから。

何故、私は腫瘍内科医をめざしたのか?<1>

何故、私は腫瘍内科医をめざしたのか?<2>

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